インターネットのセキュリティに対する正しい認識

財団法人学習ソフトウェア情報研究センター発行の学習情報研究誌 2008年1月号の特集「インターネット社会のセキュリティ」に寄稿した原稿を以下に転載した。

http://www.e-ontap.com/internet/gakujo.html

要約

インターネットが何であるか定義できるだろうか。インターネットに安全,安心を求めてはいけない。今日のインターネット社会は砂上の楼閣である。本論ではインターネットがいかに信用できないものであるかを,その基盤であるDNSとルーティングを中心に解説するとともに,セキュリティ対策として必要なことは,技術よりも参加者すべての自覚に基づく自律と協調であることを論ずる。

(中略)

まとめ

つまるところ,安全・安心なインターネットなどというものは幻想である。一部のサイトが立派な運用をしてみたところで,大多数のサイト(ルートサーバでさえも!)が信用できない運用をしている現状において,インターネットに接続する一般の人々に「疑わしいサイトには近づくな」というアドバイスは無益なのである。大多数のサイトが正しく信用できる運用をして,初めて一部の疑わしいサイトの判別ができるようになるのである。

インターネットは魑魅魍魎が跋扈する無法地帯であることを認識,啓蒙していかなくてはならない。こうすれば安心などという欺瞞はいけない。安心しないことこそが,安全への近道であり,インターネットに接続する人たちは,常に自分の頭で考え,リスクを判断し行動すべきである。

以下はあくまで私の個人的な持論であるが,インターネットは自由な空間でなくてはならない。安全,安心を,法や権力に求めることは自由の放棄である。必要なのは自由の下の自律と協調である。その確立が不可能であるならば,インターネットが幻想のまま崩壊するのもやむを得ないだろう。監獄になるよりはましである。