ある会議のための提言(案)

インターネットの普及とそれに伴う社会の情報化の拡大は恐ろしい速度
で進んできた。しかし、技術者も一般市民もそれに追随できているのだ
ろうか。ぼろぼろの DNSとルーティング、そしてその上に安易に築かれ
たアプリケーションの信頼性はインフラと呼ばれるに値するようなもの
にはなっていない。

技術自体の未熟さは自明として、それをカバーすべき技術力が巷には欠
如し、ベストエフォートさえ提供できていない現状は、何も知らされて
いない多くの利用者に対して詐欺ともいえる状況にある。
これは、ひとえに、インターネットが何であるか、インターネットの信
頼性のよりどころは何であるかを、インターネットの開拓者たちが、あ
とに続く技術者や利用者たちに、十分に説明してこなかったことにある。
すでに哲学としてのインターネットは滅んだに等しく、虚像としての現
在のインターネットも崩壊中であり、風前の灯火といえる。

折しも2010年IPv4枯渇論とともに、IPv6推進論議レジストリ周辺から
巻き起こっているが、現状でさえ管理、運用がままならない現状におい
て、IPv6の混在が進めば社会の混乱は必死といえる。ここまで問題を放
置してきた関係者の責任は大きく、ここで立ち止まって反省することが
重要である。

今、まず為さねばならないのはIPv6に免罪符を求めることではなく、イ
ンターネットの信頼性の拠り所が、インターネット参加者すべてと、そ
れを支える巷の技術者であるということを再認識し啓蒙することである。
そして、信頼性の回復がその哲学で可能かどうかを再吟味する必要があ
る。そのためには、幻に近い状態となっているかつてのインターネット
への未練は一旦すべて捨て去り、これからの社会の向かうべき方向に必
要な技術のあり方を、技術者の観点からではなく、市民レベルからあら
ためて考えなおしてみることが必要であろう。

こうした議論は、従来のインターネットコミュニティにおいてはほとん
どなされないまま、技術主導で今まで走り続けてきたようにみえる。
現状がいかに惨澹たる状況になっているか、足元を見直し反省しないま
ま先へ進んではいけない。インターネットではなく社会のために。